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空蝉橋(うつせみはし)~その2

  平安時代(方違え)から現代(移方転記)に受け継がれる吉方の学問~

 

お話を伺っていると初回(90分)ながら、非常に深い領域での癒しが起きたもよう・・・

聞いていた私が涙が溢れそうな素晴らしい体験談でした(素直に嬉しい)

さて、話を戻します。。

 

空蝉橋(うつせみはし)の名前の由来は当時橋のたもとにあった枝ぶりの良い太い赤松 ”空蝉の松” が由来のようです。

 

そしてこの赤松の名の由来は、この地の稲荷神社に訪れた明治天皇が、赤松に付いたたくさんの蝉のぬけ殻を見て”空蝉の松”と名付けたとか・・・

 

なので源氏物語とは全く関係が無い!

ということが分かりました(あっさり解決。。)

ですがここで空蝉(うつせみ)という女性、空蝉が登場するシーンが少し気になりますよね~

 

私は歴史は多少好きで文学は苦手、そんなに詳しくはありませんが、少し気になる人の為に、前後の話をバッサリ切り!簡単に説明します、超~長編小説なのでそこはお許し下さい 汗

 

・・・・・そもそも何故、光源氏は見ず知らずの空蝉の部屋に行き一夜を過ごしてしまったのか。。

 

それは当時~行きたい方角に災いがある場合、その災いを避ける(帳消し)為に他の方角に身を寄せ留まることで災いを避ける~という陰陽道に基づいた学問があり、その法則に従い向かった先に紀伊守の屋敷があり、たまたま紀伊守の継母である空蝉が宿泊しており・・・

 

(現代ではとても信じられませんが)・・・光源氏は空蝉の部屋に侵入、強引に一夜を過ごし、朝方目的地である二条院へと後ろ髪引かれる思いで去っていったのです。

 

その後・・・光源氏はその時の出来事が忘れられず空蝉に再アプローチしますが、空蝉は人妻であり~また身分の違いから身の程に合わないとして光源氏を避け続けます。

 

そのときの空蝉に届けられた、光源氏の歌をしたためた句がこれです↓

「空蝉の 羽におく露の 木がくれて   しのびしにびに 濡るる袖かな」

(蝉の抜け殻の羽におりた露が、木の間隠れにかすかに見えるように、あなたのことで思い悩み、魂を失った空蝉のように人目を忍びながら涙しています・・)

終。。

 

さて、この行きたい方角に真っ直ぐに行かず、ワンクッション置いてから目的地に向かうことで災いを避け運気上げるという摩訶不思議な学問は、実は現代にも脈々と受け継がれていることをあなたはご存じでしたか?

 

これを源氏物語の中では「方違え(かたたがえ)」と呼んでいますが、現代では「移方転記(かたがえ)」と呼んでいます。

 

ちなにみに私はその学問(方鑑学)の会長と知り合い、実践して早や4年・・・

 

おっと、、今日はこのあたりで~

空蝉橋(うつせみはし)~その3(最終)